Friday, November 9, 2012

海苔:除雪

日本ではたくさん有名な食べ物がありますが、ずっと前から海苔を食べています。例えば、701年には、大宝律令という日本の最古の法律がありました。この法律には海苔の税金がありました。701年には、海苔はもう大切な食べ物でした。「うつぼ物語」は日本の一番古い説話ですが、この話では海苔は普通の食べ物でした。それから、日本の歴史には、海苔は伝統的な食べ物になりました。

今では、海苔は世界的に人気がある物になりました。さいきん健康にいい食べ物のようだから、日本の外にいきました。実は私は味がきらいですが、海苔は焼くに立ちます、アジア文化が人気になりましたから、たくさんの国にはおすし屋があります。海苔産業は本当に大きいです。日本の
近海は230sq. mi.が海苔を作るために使っています。毎年450000重噸が植えませ。市場価値は一千万ごろドルです。

これは日本だけです。他に海苔を作っている国は中国ですが、日本の三分の一の大きいさでつくっています。

海苔は玉藻です。「ウィキピヂアー」によっと、襲名は「ピイェゾエンシス」と「ピテネラ」です。だいたい黒い紙状ですが、よくある使い方はおにぎりとおすしをむのに使います。他の使い方はそば汁物のうえにっふりかけて食べ物がきれいになるために入れます。例えば、お弁当で何か作るために役に立つかもしれません。とんな使い方もおいしいそうだから、ぜひ食べて見たいです。

米の紹介





  日本人の一番のよく食べる主食(しゅしょく)はパンや面じゃなくて、お米です。お米はイネの実から籾殻(rice husks)を取り除いたものです。米は小麦(wheat)、トウモロコシととも世界の三大穀物(grain)といわれます。米には色々な品種(kind)があります。粘り気が少ないものをうるごめといいて、水気が多いものをもち米といいます。米の精製(purification)のし方もいくつもあります。厚い籾殻を取り除いたままの米は玄米といいます。玄米の表面を覆う糠層(bran)を取り除いた米は精米といいます。糠層も胚芽(germ)も取り除いたのは白米といいます。
  米の料理はとてもやさしいです。米一合に対して水一合に、米を炊いたものを飯といいます。お米は日本では主食として食べられるほかに、酒やもち、味噌、しょうゆ、などの原料(raw materials)としても用いられています。

  稲作(rice crop)は、原産地(origin)の中国中南部から北部南アジアに、そして縄文時代(Jomon period)の終わりから弥生時代(Yayoi period)の初めに日本に伝わったといわれています。今まで歴史は三千年ぐらいです。日本の気候は高温多湿(warm and humid)で稲作に適していますから、次第に栽培(cultivation)が発達(develop)しました。

  玄米の栄養価(nutrition value)が豊富(plenty)であることはすっかり有名になりました。白米にも栄養素が含まれます。お米は体を動かす原動力(driving force)や体を作る蛋白源(protein)になります。お米を食べると、脂肪(fat)を分解(decompose)することもできて、太りにくい体質になるとも言われます。日本人に不足のカルシウムや鉄分(iron)もしっかり補給(supplement)することができます。
  いかに栄養が豊富だといってお米だけでは必要栄養を全部取ることはできないのです。大切なのは他の食べものと組み合わせた食事によって栄養のバランスをとるということです。ご飯味噌汁、焼き魚といったような典型(typical)的な日本人の朝食は炭水化物(carbohydrate)、蛋白質、脂肪の栄養バランスがよくて、国際的にも注目されています。

Thursday, November 8, 2012

味噌の紹介

私にとっては、「味噌」は「おいしいスープ」という意味です。しかし、スープの他の使い方が多いです。味噌は日本お伝統的な調味料で、や米やなどから来た食べ物です。作る時は、大豆などを使って、麹菌と言う発酵された物を入れて、待つと大豆の味が変わります。(日本の中で色々な味噌がありますが、たいてい大豆で作ります。)
 味噌は日本料理の歴史にとても大切です。昔から日本人はよく使います。江戸時代に「医者に金を払うよりも、味噌屋に払え」と言うことわざをよく言っていました。医者と同じように健康にいいかどうか分かりませんが、体にいいそうです。お腹にいいし、老化しすぎないようにします。それで、味はのようですが、他の塩辛い食べ物ほど塩辛くないです。
 味噌もとは昔の中国と韓国でした。始めは、味噌はすごく特別な食べ物でしたが、江戸時代になって、だれにでも食べられてきました。一番人気があるのは今と同じ味噌でした。他の野菜や魚などと作っていますから、味噌は日本の食文化の大切な物です。

豆腐の紹介


 豆腐は美味しくて、健康に良くて、世界に人気があるし、代表的な日本の食べ物です。私も、豆腐が大好きです。豆腐について調べました。
 豆腐は大豆(だいず)にタンパク質(しつ)を固めて作ります。豆腐は白くて、柔らかくて、見た目美しいです。世界中の人々(ひとびと)が愛してるし、日本では、約80パーセント以上の人が毎週一度は豆腐を食べます。
 豆腐は紀元前2世紀(せいき)中国の漢時代劉安が発明しました。これは2200年ぐらい前でしました。そして、奈良(なら)時代に遣唐使(けんとうし)が中国から、持ち込んで、豆腐は日本に来ました。その時に、豆腐は精進料理(しょうじんりょうり)として食べられて精進料理をよく食べた僧侶(そうりょ)の間(あいだ)や貴族社会(きぞくしゃかい)や武家社会(ぶけしゃかい)に普及(ふきゅう)しました。室町(むろまち)時代に、全国的に浸透(しんとう)し、江戸(えど)時代に豆腐は一般庶民に食べられました。天明(てんめい)2年(1782年)に、豆腐料理の本「豆腐百珍」が出て、全国で爆発的な人気を集めました。その後で、豆腐の人気が続いてきて、皆の大好きな食べ物になりました。
 豆腐は健康にいい食べ物です。記事によると、精進料理をよく食べる僧侶や豆腐を多く食べる習慣がある地方の人々に、長寿の人が多いです。豆腐は栄養素(えいようそ)が豊(豊)かですが、タンパク質や鉄(てつ)やカルシウムが多くて、油が少なくて、美容(びよう)と健康に非常に効果(こうか)的であると言われています。
 それに、豆腐は歴史が長いので、種類がいろいろにあります。例えば、柔らかい絹(きぬ)ごし豆腐や固い木綿豆腐(もめんどうふ)もあります。ですから、豆腐の料理もいろいろにあります。和食の味噌スープと中華料理の麻婆豆腐と韓国料理の豆腐キムチなどは全部おいしい豆腐の料理です。
 簡単ですが、これは僕の豆腐についての紹介です。豆腐は美味しくて、美しくて、健康に良くて、歴史が長くて、使う方が多くて、本当にいい食べ物です。



Wednesday, November 7, 2012

日本の食文化:醤油

komego.co.jp
和食では、醤油はとても大切な調味料です。醤油はたくさんの物に使えますから、日本ではよく使います。例えば、炒め物や煮物を作る時は、醤油を入れます。あとは、肉や魚を料理する時は醤油をたして、臭味をたくします。醤油を使うと色んな味が出て、おいしくなります。日本人にとって、醤油はとても重要は物です。

醤油の材料はとてもシンプルですが、作る過程は長いです。大豆小麦塩水、と醸造したものが醤油です。伝統的な過程は六ヶ月間以上の醸造期間がいりますけど、市販されているのは大豆の残器を入れていて、もっと早くできてしまいます。そして、長持ちするようにさけを入れる会社もあります。

醤油の作り方を発見した人は「かくしん」と言う僧侶でした。とても偶然でした。かくしんは、中国からのお味噌の作り方を日本人に教えていた時に、間違えて水の量を多くいれすぎました。でも、おいしかったから、水の多いお味噌を作り続けました。この一番最初の醤油は戦国時代から江戸時代の間に一般移民に広まりました。そして、明治時代に全国に広まりました。今は、たくさんの国に醤油が輸出されています。

最初は一つの醤油で始まりましたが、今は五種類もあります。その五つはこいくち、うすぐち、たまり、さいしこめ、と白です。一つずつ違います。こいくちは関東で有名ですが、一番基本な醤油だと知られています。うすぐちは関西でよく使われていて、こいくちより塩が多くてしょっぱいです。たまりは名古屋県から来ていて、とてもこい醤油です。そして、小麦は入れません。さいしこみはあ山口県からで、二回醸造されたもので、もっと甘いです。白は愛知県からの醤油で、とてもうすい色です。醤油の味が欲しくて、茶いろの色が欲しくない時に使います。

醤油は色々あって、たくさんおいしい料理ができます。しょっぱい味だけじゃなくて、醤油には甘み、さんみ、塩味、苦み、とうまみがあります。こんな特殊な調味料ですから、ふかい、バランスのいい食事ができるでしょう。醤油があるから、日本食はとてもおいしいのでしょうか。

福島第一原子力発電所事故:映画の意見

先週、私と日本語三年生といっしょに福島第一原子力発電所事故についての映画を見ました。二0十一の三カ月にありましたが、いつのまにか、おう一年半グライになりました。でも、今まで、福島の人も日本人も世界の人もけっかをかんじています。かくエネルギーの世論にはんたいしています。例えば、あの時の日本の首相菅直人の意見がさいせいかのうエネルギー変わりました。日本では、たくさんの抗議がありました。今までもありましたが外国の大使館の人が日本から出ました。それに外国にもかくエネルギーの世論がおこりました。

先週の映画の内容は福島の人と福島の辺りの人の試練でした。日本人の反作用は日本政府東京電力株式会社(TEPCO)になすりつけましたが、たくさんのひとが快気はもっと必要だと思いました。本当にひとい状況でしたが、普通の生活にもどらなくちゃいけません。仕事がいりますし、子供が教えてもらわなくちゃいけません。それに、ひさいちくはたくさんの歴史や文化がありますが、全部捨てるのは本当ざんねんです。それから、福島の辺りの人が毎日せっかく奪い合う理由を分かりました。

この映画はドキュメンタリーだから、本当の事実を伝えていました。でも、意見は教えてもらいませんでした。かくエネルギーの世論はいまいやの物になりあしたが、前には大丈夫でした。どんな方がいいか、たぶんいまたくさんの日本人が考えています。私の意見ではかくエネルギーがない世界はちょとむりだと思います。かくエネルギーは本当にあぶないですから、人が住んでいる場所にエネルギーを届けるのはあぶなすぎます。かくエネルギーの場所には変災であれば、破損はむりです。でも、かくエネルギーは役に立つかもしれません。たくさん潜勢力があるかもしれません。それに、もっと研究がいります。いい使い方も悪い使い方もあると思います。例えば、かくエネルギーでは、遠いわくせいに行くことができるかもしれません。めずらしい鉱物を探せるしできるし、この宇宙の歴史を勉強できるし、色々なことができるかもしれません。

福島第一原子力発電所事故の場合は、問題は人間です。TEPCOがたくさんの手を抜きました。それも、外国の大きい会社といっしょにはつでんしょをたてましたから、その問題は日本の会社だけじゃないと思います。産業の問題です。人間の問題です。会社の大切な人と外国人が決めましたが、ふつうな日本人が損じました不平等です。

やはり、あの映画のメッセージは山口さんのと同じです。"All for one, one for all" を考え場、もっとすばらしい世界になると思います。

山口彊:映画の意見


私はたくさんのウリアムズ大学生といっしょうに先週に山口彊さんについての映画を見ました。山口さんは二年前になくなりました;その時までいつも核軍縮のメッセージを説いていました。山口さんは二重被爆者でした。二重被爆者をしても後で毎日の生活にもどることができたのはすばらしいです。

映画はドキュメンタリーだから、平明だし、分かりやすいし、特別な興行化がいりません。例えば、普通な映画がたくさん編集処理がいりますが、ドキュメンタリーの方はもし興行化を使いすぎれば映画の内容は分かりにくくなるんじゃないでしょうで。たくさんの時間が閲したから、山口さんの体も声も弱くなって、いつもがんばりました。難しかったが、山口さんのメッセージは大事ですから、そのがんばり方は必要でした。

たくさんの被爆者が、山口さんを初め、最近もなくなしました。それから、ぴかどんの大変の経験を見ました人がめずらしくなります。山口さんの恐怖心はぴかどんがまだ使うっていうのですが、たぶん私と次世代が分かってできません。私と次世代がぴかどんの経験を見ませんでしたし、覚えて出来せん。それから、何年か後で、ぴかどんがまだ使うかもしれません。もちろん、このけっかはだめです。それから、山口さんと同じな人の意見では、危険因子はあぶなすぎるから、世界にはぴかどんは全部なくならなくちゃいけません。

それから、山口さんは何がしたいか分かりました。びかどんがない世界がいります。いまむりであれば、次世代にこの大事なゆめをあげなくちゃいけません。それも、次世代が分からなくちゃいけません。山口さんが何度も人と話して、何度もなきはじめました。はありませんでしたが、あの時には、山口さんの死力をわかりました。でも、実は今世界にはたくさんのぴかどんがあります。それも、国によって違いますが、外の国がぴかどんが歩国になりたいんです。例えば、イランです。

やはり恐怖心がおもな理由だと思います。先ず、この問題をかなくちゃいけません。皆さんが皆さんを分かってできなくちゃいけません。それから、山口がいつも"All for one, one for all"っていいました。私の子供の世界はぴかどんがない世界になってほしいです。それから、私も山口あんを忘れません。約束を守りたいです。

中間試験が終わりましたが、もうたくさん勉強しなくちゃいけません

実は、こブログは三週前に出さなくちゃいけませんが、本当におそいね。あの時にはちょっと間違えました;他の内容を書けました。折よく、今から皆さんが私のマウンテンデイの冒険談を読んでできます。

マウンテンデイには、私が七時に外の鏗々で起きました。私の部屋は教会が近いし、鏗々が長い時間でかかるし、まだ寝たかったですが、できませんでした。それも、だれか外で大きくてお晴れ回りましたから、やはり起きました。天気が悪いようでしたから、朝ご飯を食べた中いつも心配しましたが、十時ごろまでに天気がきれいになりました。皆さんといっしょうにパレスキの前で寄り集まりました、後でそろそろ山へ行きました。

私と友達と、三人でいっしょにいきました。ちょっと商会すれば、ブリカルトさんとイヤフラテさんといいました。ブリカルトさんが二年前に日本語を勉強しましたが、止めました。イヤフラテさんは日本語を全然勉強しませんが、音楽に上手です。どちらでもやさしいひとですが、本当に遅く歩きました。毎年山の上に、ウリアムズ大学がドナツとサイダーをあげていましたが、私の友達はそんなにおそかった、全然食べませんでした。ざんえんですから、今年は違うほしいになりました。

でも、今年もとても遅く歩きました。友達より私が元気でしたから、もっと早く歩いてできました。色々時に挺進したかったが、忠実な友になりたいから、いっしょうに歩きました。そろそろやはり山の上に行きました;それも、ドナツとサイダーもうありました、よかった。あの時には、私の尽忠がちょっともっとよくなりました。いい経験でした。